京都の難読地名、帷子ノ辻には着物が関係する悲しい逸話が残っていました
こんにちは。着物レンタルVASARAにてコールセンターをしていたスタッフです。京都の道案内をするたびにこの地名は何て読むのだろうといつも疑問に思っていて、京都の難しい地名、面白い地名を探して、より京都に詳しくなって観光旅行の際に役立ててほしいと思い、京都の地名についてご紹介するコラムです。今回ご紹介するのは「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」です。
●そもそもなぜ京都は難読地名が多いのか
難読地名の多い京都、それは1200年以上の長い歴史の変遷の中で生まれてきた、古来の読み方を現代の読みに当てはめていたり、その場所に関係する出来事や人物に由来するため多くの難読地名が生まれたのだといわれています。
●私は読めませんでした。帷子ノ辻
嵐山に向かいたいという方から電話があって、ちょっと調べた時に京福電鉄(通称・嵐電)の駅名にはユニークな名前が多いなと感じて調べてみたのですが、その中でまず目についたのが「帷子ノ辻」でした。最初は「ちごのつじ」と呼んでいたのですが、全く違う読み方で驚いたのを覚えています。この地名は「かたびらのつじ」と読むのですが、この地には帷子になにか由縁があるのでしょうか。
●帷子ノ辻の由来
「帷子」とは夏に着るひとえの着物、絹または麻糸で織った布のことをいいます。なぜこの地にこんなユニークな地名がついたのでしょう。その由来をたどると、古い謂れがあり、平安時代の初めまでさかのぼります。
嵯峨天皇の皇后であった檀林(だんりん)皇后は、仏教に深く帰依して慈悲深く、そのうえとても美しい女性でした。そのため皇后であるのにもかかわらず、大勢の男が恋い焦がれて言い寄り、修行の身の若い僧たちでさえ恋い焦がれたといわれています。そこで皇后はこうした状況を嘆いて、仏教が説く諸行無常の真理を示して人びとに屠りを呼び戻そうと考えました。そして自分か死んだ時は、その遺体は埋葬せずにどこかの辻に捨てておくように遺言したのです。
皇后が亡くなると、遺言どおりに遺体は辻に捨てられて、日がたつにつれ腐っていき、野大やカラスに食われて無残な姿となり、ついには白骨になって果てました。人々はその姿を見て世の無常を悟ったといいます。そこで、遺体が捨てられた場所を皇后の経帷子にちなんで「帷子ノ辻」と呼ばれるようになったそうです。また、皇后の葬送のとき、棺をおおっていた帷子が風によって飛ばされてこの地に舞い落ちたからという説もあるそうです。
とても悲しい由来があったのですね。
●この地域は養蚕が有名でした
帷子ノ辻の近くに太秦(うずまさ・うづまさ)というこれまた難読な地名があるのですが、こちらにある蚕養神社は、蚕の神を祀っています。太秦は秦氏(はたし)が開いた土地で、大陸から様々な技術をもたらしました。そして、養蚕もその一つで、帷子ノ辻に取れた絹糸を持っていき、浴衣びらを作っていたそうなのです。つまりこの地は平安京に於いて、絹糸産業の工業団地とも言えます。養蚕神社はこれに因んで祀られたもので、養蚕機業家や製糸家が古くから信仰しています。帷子の意味にも通じるので、もしかするとこれが地名の由来になっていたのかもしれませんね。
●まとめ
いかがでしたか?今回は難読で、悲しい逸話の残る帷子ノ辻をご紹介しました。着物にまつわる話が出てくるなんて思っていなかったので、細かなことを気になって調べてみるのはいいことですね。さきほど触れた養蚕神社はちょっとしたパワースポットとしても有名になっていますので、嵐山へ行くときはぜひ着物を着て足をのばしてみてはいかがでしょうか。このほかにも京都には面白い地名や由来を知っていると怖いような地名がたくさんあります。ぜひ観光の際に訪れてみてください。着物レンタルVASARAをご利用いただければ気軽に着物観光が体験できます。ご来店お待ちしております。
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