源義経を由来とする京都の地名をご紹介
こんにちは。着物レンタルVASARAにてコールセンターをしていたスタッフです。京都の面白い地名や難読地名をピックアップ、それにまつわる歴史やオススメスポットをご紹介しています。今回ピックアップしたのは蹴上(けあげ)です。蹴上という漢字から推測すると、蹴鞠にちなんだものなのかと推測したのですが、全く違いました。この蹴上は悲運の最期を遂げた偉人、源義経が由来となっていました。
●蹴上ってどんなところ?
蹴上は東山区、日本で初めて琵琶湖疎水による水力発電所がつくられた地です。現在でも蹴上浄水場や水力発電所があることで知られています。東山の緑も豊かで、観光地として人気の南禅寺や桜の名所の琵琶湖疎水公園、そのほか、政財界や大企業の高級な別荘が立ち並んでいます。
●源義経について
源義経は兄の頼朝とともに平氏を滅ぼした人物です。生まれは1159年といわれていて、生まれてすぐに鞍馬寺に預けられます。その寺で夜に天狗から武術を習ったという逸話があり、その後の平家滅亡へ多大な功績を残しました。しかし、その結果政治的に利用されてしまい、兄の頼朝とも仲たがいして最後は自害してしまうという悲劇のヒーローとして知られています。
●蹴上に残る源義経にまつわるエピソード
義経がまだ牛若丸と名乗っていた16歳の時、奥州平泉に向かうことになりました。義経と従者の一行は三条大橋を渡り、現在の蹴上の場所に差し掛かりました。その際、平家の武者とその従者九名とすれ違ったとき、平家の従者一人の乗っていた馬が水たまりの水を義経へ蹴り上げてしまい、衣類を汚してしまったのです。義経はこのことに激怒。平家の従者9名をたちまち切り捨てて、武者の耳と鼻をそいで追い払ったのだそう。そして、奥州へ旅立つ門出に吉兆の出来事だといってたいそう喜んだといいます。この出来事から、蹴上という地名が付いたといいます。
実はこの切り殺された9名の従者を弔うために9体の地蔵を作って供養したことにちなんだ「九体町(くたいまち)」という地名が近くにあります。現在、9体の地蔵のうち6体は消失してしまったそうですが、今なお3体は残っていて、中でも疎水公園の一角にある屋根付きの地蔵「義経大日」、または「義経地蔵」と呼ばれているのです。
●義経にまつわる地名は他にも
蹴上からさらに東に向かうと、天智天皇陵がある山科区御陵地区になります。ここは東山のゆるやかな丘陵にある山科盆地の一角で、現在は住宅街が広がります。この御陵地区には「血洗町」というおどろおどろしい地名があるのです。なぜこのような地名かついたのかというとこれも義経の逸話に関係があります。実は義経は平家の従者九名を斬り殺した後、
この地にあった池で刀についた血を洗い、池の前にある石に腰かけてしばし休息したので
す。そのため、この一帯は血洗町と名付けられたといいます。そして、刀を洗った池と義経が腰かけたという石はなんと現在も残っています。
京都薬科大学のグラウンドがあり、その南の隅に、家の敷地に囲まれて三メートル四方のくほみに水がたまっている池があり、そこが義経が刀を洗った血洗い池だといいます。住宅化が進んで血洗町の義経が刀を洗った池は小さくなっていますが、かつては竹藪がうっそうと茂った、広い池だったそうです。その池の近くに囲いの中に木の札が立てられている小さな四角い石があります。それが、義経が腰をかけて休息した「義経の腰掛石」だそうです。義経や源氏物語について興味がある方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
●まとめ
いかがでしたか?今回は蹴上、血洗町という源義経にまつわる地名をご紹介しました。昔の偉人たちがなしたことがそのまま地名になるなんて不思議ですよね。このような地に着物で聖地巡礼に向かうのもいいかと思います。着物レンタルを検討されている方はぜひ着物レンタルVASARAへ。京都を含めて全国21店舗を構えており、気軽に着物体験ができます。京都には京都駅前に店舗を構えています。気になった方はこちらをご覧ください。
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