太秦って何て読む?京都の難読地名をご紹介
こんにちは。着物レンタルVASARAにてコールセンターをしていたスタッフです。京都には難読地名が数多くあるのをご存知でしょうか。一口(いもあらい)や帷子ノ辻(かたびらのつじ)などちょっとやそっとじゃ読めない地名が至る所にあるのです。地名だけではなく神社仏閣も難しい読み方が多いですけれど、今回は特に難しいのではないかと個人的に思った地名をご紹介いたします。右京区にある太秦(うずまさ)です。
●そもそもなぜ難読の地名が多いのか
難読地名の多い京都、それは1200年以上の長い歴史の変遷の中で生まれてきた、古来の読み方を現代の読みに当てはめていたり、その場所に関係する出来事や人物に由来するため多くの難読地名が生まれたのだといわれています。
●太秦がうずまさなんて読めないと思います
「太秦」も京都の難読地名の代表格です。京都市の西郊外、右京区にある地で、国宝の弥勒菩薩があることで有名な広隆寺が建立している地域です。竹林や桜が美しい名所の嵯峨野や嵐山も近いんですよ。私はその太秦のことを「ふとやす」とか「ふとはた」と読んでいましたが正しくは「うずまさ」と読みます。そんなの読めませんよね?
「太秦」は明治から昭和までは多くの映画会社が撮影所を置き、時代劇映画を撮影していた地です。監督や映画関係者、俳優が多く住み、「東洋のハリウッド」といわれて発展した町であります。現在でも東映と松竹の撮影所があって、時代劇やテレビドラマを撮影しています。中でも東映太秦映画村は一般の方も気軽に時代劇のような雰囲気を味わえると人気のスポットとして有名です。
●なぜ「うずまさ」と読むのか
では、「太秦」がなぜ「うすまさ」なのかというと、これには古くからの謂れがあるらしいんです。応仁天皇が治めていた三世紀ころ、朝鮮半島から渡ってきた豪族の秦氏(はたうじ)は京都や大阪に住んでいましたが、この地を本拠地としていました。秦氏は土木灌漑、養蚕、織物、酒造りなどに優れた技術を持ち、この地を開拓してこの地の住民に技術を広めました。
雄略天皇の五世紀ごろ、秦氏のなかでリーダー格の秦酒公(はたのさけのきみ)はこの地で養蚕をはじめ絹織物を盛んにつくり、天皇に献上しました。そのとき絹織物を天皇の前にうず高く積み上げたので、天皇はとても喜ばれました。そこで秦酒公に「兎豆満佐(うずまさ)」の姓を賜ったといいます。 そこで彼が本拠地とした地も「うずまさ」と呼ばれるようになり、偉大な秦氏という意味から「太秦」の字が当てられたというのです。
●太秦にある神社も難読。木嶋坐天照御霊神社
現在、太秦には木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社があります。初めて読み方を見た時は目を疑いました。
秦氏は当時ヤマト朝廷の養蚕、機織りの技術を独占し莫大な富を築いたといいます。そこで秦氏は養蚕の神に感謝しお祀りしたのが木嶋坐天照御霊神社の境内にある蚕の社です。養蚕の神を祀るということで、製糸業者の信仰が今なおあるそうです。境内の池中に明神鳥居を三つ組合せた珍しい石鳥居(三柱鳥居)があり、パワースポットとしても有名です。現在もこの神社は何と、五世紀頃から今に至るまで嵐電(京福電鉄)から蚕ノ社駅近くに鎮座しているという非常に古くから続く神社なのです。嵐山に向かうのであればぜひ一度足をのばしてみてはいかがでしょうか。
●まとめ
いかがでしたか?今回は京都の難読地名、太秦と秦氏にまつわるパワースポットの木嶋坐天照御霊神社をご紹介しました。京都の地で大きな力を得た秦氏ゆかりの地を巡ってご利益を授かってはいかがでしょうか。このほかにも京都には面白い地名や由来を知っていると怖いような地名がたくさんあります。ぜひ観光の際に訪れてみてください。着物レンタルVASARAをご利用いただければ気軽に着物観光が体験できます。京都駅前にある着物レンタルVASARA京都駅前店を利用すれば、着付け後すぐに電車に乗って嵐山方面に向かうことができます。
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